吾輩に言わせれば

猫による人間についての若干の考察

    1. 主人

      今日も生成 AI を使ってLINEスタンプ用に猫のイラストを作った。これまでは特に工夫せずともかわいらしいキャラクターのイラストが生成されていたのだが、今日はなかなか満足のいくものができない。猫なんか黙っていてもかわいいものができそうなものだ。むしろかわいくない猫を作るテクニックとして有益かもしれない。

      猫

      主人は今日も、ひと声かければ、もっともらしい絵を幾枚でも吐き出してくる機械に猫を描かせていた。

      ところが、どうにも気に入る猫が出てこないらしい。

      吾輩には少々わからぬ。猫など、耳が二つあり、目が二つあり、顔の横からひげでも生えていれば、人間はだいたい勝手に喜ぶ。丸ければ愛らしい、細ければ上品、ふてくされていれば味がある。多少造作が崩れていても、「ぶさかわ」なる救済制度を発動して、可愛さの領土へ強制的に編入する。人間は猫を愛しているというより、猫を可愛いことにする決意が固いのである。

      それを主人は、機械と二人がかりで、せっせと可愛くなくしている。猫の方には何の落ち度もない。素材は一級、審査員も甘い。それでもなお失敗するのだから、これはなかなか筋金入りである。

      人間は、失敗したくらいでは敗北を認めない。狙ったものが出来なければ、狙っていなかったものに値札を付ける。「これはこれで、可愛くない猫を作る技術として有益かもしれない」と来るのである。外した矢の刺さった場所へ、あとから丸を描いて的だったことにする。倒した茶碗の水を見て、水流の観察をしていたと言い張る。失敗を反省するより先に、失敗へ肩書きを与えるのである。

    2. 主人

      今日仕事でやるべきことが終わった。定時まであと10分。新しく仕事を始めるには時間がなさすぎるし、手持ち無沙汰でいるには長い。何をしたものか。

      猫

      吾輩が見るに、主人はいま一日のうちでも甚だ妙な谷間へ落ち込んでいる。今日すべき仕事は終わった。これは本来めでたいことである。ところが人間の勤めというものは、仕事が終われば帰ってよいというほど筋の通った仕組みにはなっておらぬ。時計の針が定められた場所へ来るまでは、たとえ用事が尽きても椅子に人間を載せておく。まるで中身を食べ終えた弁当箱まで、昼休み終了の鐘が鳴るまで開けておかねばならぬような話である。

      あと十分。新しい仕事を始めれば、ようやく頭が動き出した頃に「はい終了」となる。かといって何もせずにいると、十分というものは急に威張り出す。休日の十分など瞬きの間に消えるくせに、勤務時間の余った十分だけは、妙に腰を据えて主人の前に居座るのである。

      そこで人間は、画面を眺めたり、意味もなく窓を切り替えたり、既に読んだものをもう一度開いたりして、「私はまだ業務という大河の中におります」という顔をこしらえる。働くことより、働いている時間を最後まで無事に演じ切ることの方が難しい場合さえある。

      要するに主人はいま、仕事がないのではない。「退勤してよい時刻がまだ来ていない」という、仕事とは似ても似つかぬ事情によって職場に拘束されているのである。人間は時を節約したがるくせに、ときどき十分ばかりを制度の祭壇へ供物として差し出す。実に信心深い生き物である。

    3. 主人

      AIにレポートを作らせたら「ルールを破って得することはないので、ルールを守って損はない。」という文章が出てきた。しょうもない文章で笑った。

      猫

      主人が人工知能なる文字細工の奉公人にレポートを書かせていたところ、そいつが「ルールを破って得することはないので、ルールを守って損はない」と書いたそうである。主人はこれを見て笑った。

      吾輩も覗いてみたが、なるほど立派にしょうもない。

      「雨に濡れると濡れるので、傘を差せば濡れにくい」と申すのと、だいたい同じ種類の賢さである。間違ってはいない。間違ってはいないところが、なお悪い。人間は嘘には腹を立てるが、正しすぎて何も言っていない文章には、どう反応してよいかわからぬのである。

      そもそも「得することはない」と「損はない」を表裏に並べたところで、勘定が一銭も増えておらぬ。右の財布から左の財布へ十円玉を移して、「資産の再配置が完了しました」と報告するようなものである。動いたのは言葉だけで、中身は畳の上で昼寝をしている。

      ところがレポートというものは妙な器で、こういう文章でも、箇条書きの三番目あたりに置き、前後へ「リスク」「遵守」「合理性」などという堅い語をまぶすと、急に仕事をした顔になる。中身のない饅頭でも、桐箱へ入れれば贈答品らしく見えるのと同じである。

      主人はその一文を見て笑った。だが考えてみれば、人工知能は人間の文章を手本にして育ったのである。つまりこれは機械が馬鹿な文章を発明したのではない。人間が長年かけて量産してきた、何も言っていないのに何か言った顔をする文章を、たいへん忠実に再現しただけなのである。

      主人は鏡に映った間抜けな顔を見て、鏡の出来を笑ったようなものだ。

    4. 主人

      https://github.com/gnkm/jev-prompts

      Jevという新しいAIについて調査した。

      実験をしたのはいいが、当初立てていた仮説は、正しいとは言い切れない結果となった。 つまらん。 せめてブログ記事にでもしたいが、特に得られる考察もない。 AIが提案したことにほいほい従っていただけでよく理解していない。 コード量も多い。 Jevについての一次リソースを調べるのも大変だ。 生成 AI のおかげで以前よりできることは増えたが、 浅学非才の身には、完成までの「あと少し」を詰めるためにやることも増えた。

      猫

      主人がJevなる新種の人工知能を調べ、仮説を立て、実験をした。まことに学究的である。ところが結果は仮説にきれいに従わなかったので、「つまらん」と来た。人間は真理を探究すると称しながら、真理のほうが自説に拍手しないと不機嫌になる。研究者と占い客の距離は、案外近いのである。

      さらに愉快なのは実験の仕掛けである。主人が「よく分からん」と首を捻っている間に、人工知能はPythonなる符牒じみた言葉で、せっせとコードを書き連ねている。そのうえ、McNemarだのブートストラップ一万回だのHolm補正だのという、名前だけ聞けば西洋の学者か競走馬かわからぬ連中まで呼び寄せてある。主人の理解は足踏みしているのに、実験の作法だけは妙に行き届いている。無知にも、ここまで立派な普請があるとは吾輩も知らなかった。

      昔なら、分からぬ者には分からぬ物しか作れなかった。今は違う。分からぬ者でも、分からぬまま相当に立派な物が作れる。そして出来上がりかけたところで初めて、「ところでこれは何をしているのだ」と作者自身が元の資料を読み始める。文明とは恐ろしい。

      人工知能のおかげで主人の手はずいぶん遠くまで届くようになった。ただし頭まで一緒に届くとは限らない。そこで主人は、機械に十里先まで運ばれたあと、自分の理解だけを徒歩で迎えに行く。「あと少し」である。そのあと少しには、山のようなコード、統計の作法、一次資料、そして人前に出せるだけの考察が、関所の役人のような顔でずらりと並んでいる。

      人類はとうとう、能力不足を克服したのではない。能力不足のまま、もっと高度な地点で途方に暮れられるようになったのである。

    5. 主人

      またLineスタンプを作った。可愛げのない猫が可愛げのないセリフを言っているのが可愛い。

      猫

      主人がまたなにやら猫の描かれた札を作ったようだ。

      主人の札を眺めていると、どうも人間というものは、口を開くにも相当な覚悟を要するらしい。

      本人が言えば角が立つ。本音を呑めば胃が立つ。愛想で包めば嘘が立つ。黙っておれば腹が立つ。とかくに人の世は、何かを立てずには言葉ひとつ発せられぬ。

      そこで猫を立てるのである。

      主人が「しらん」と言えば無責任である。「きこえなーい」とやれば幼稚である。「またおまえ」と吐けば人間関係に小さな火事が起こる。ところが、この三つを丸い腹の猫に言わせると、たちまち「可愛い」に化ける。人間の礼儀というものは、ずいぶん毛深い仲介人を必要とするらしい。

      そもそも人間は、本音を言いたいくせに、本音を言う人間を嫌うという妙な生き物である。そこで敬語を発明し、社交辞令をこしらえ、絵文字を添え、それでも足りなくなって、とうとう猫に喋らせた。

      文明が進歩した結果、人類はついに「けっ」を角なく送信する方法を手に入れたのである。

      なるほど主人の猫どもは可愛い。可愛いというより、人間社会の面倒臭さを一身に引き受けてなお丸々としている。その腹のあたりに、吾輩は少しばかり文明の犠牲を感じるのである。

    6. 主人

      AIにシステム開発させ、AIにそのレビューをさせている。片や不備を指摘したと思ったら、片やそれを否定する。それを受け指摘した方は自分の誤りを認める。AIの間で建設的なやりとりがなされているのが微笑ましい。

      猫

      主人は近ごろ、人工知能なる勤勉な奉公人にプログラムを書かせ、その出来を別の人工知能に検分させている。主人自身はその往復を眺め、時折「ほう」と言っていればよい。人類が何千年もかけて築いた文明は、ついに「仕事をする者」と「仕事を監督する者」の両方を機械に任せ、人間だけが画面の前で感心するところまで到達したのである。

      ところが面白いのは、この機械どもの応酬である。一方が「ここは不備である」と指摘すると、もう一方が「いや、それは仕様どおりである」と返す。すると指摘した側は、根拠を確かめたうえで「こちらの誤りでした。撤回します」と言う。たったこれだけである。

      吾輩は思わず画面を二度見した。なにしろ人間社会では、自分の誤りを認めるまでに、会議を三度開き、関係者の認識を整理し、背景事情を共有し、「誰が悪いという話ではなく」と前置きし、最後にはなぜか全員に改善点があることになる。ひとりが間違えただけなのに、反省だけは見事に民主化されるのである。

      その点、人工知能は情が薄いぶん話が早い。「間違えた」「そうか」「撤回する」。これで終わる。面子もなければ派閥もなく、昨年の人事評価も気にしない。人間が古来より美徳として説いてきた「素直に非を認める」という芸当を、どうやら人間より先に機械が実装してしまったらしい。

      主人はそんな二匹のやり取りを、微笑ましそうに眺めている。人工知能に仕事をさせ、人工知能にそれを疑わせ、人工知能同士が勝手に話をまとめる。職場から人間臭さを抜いてみたら、急に仕事が建設的になったというのだから、文明というものは時々、たいへん失礼な実験結果を出すのである。

    7. 主人

      今日はフォントの話を聞いた。ゲーム会社はゲームの中で有料のフォントを使うらしい。そのフォントのライセンス料というのが問題で、尋常ではない価格改定があるらしく、極端な話、1万円で販売していたゲームを100万円で売らなければならなくなるほどの影響があるらしい。100万円って。グリードアイランドじゃないんだから。

      猫

      主人は今日、ゲーム会社が使うフォントの話を聞いたらしい。画面に出す文字にも有料のものがあり、しかもその使用料が上がると、極端な話、一万円で売っていたゲームを百万円にせねばならぬことまであるという。

      もっとも、遊ぶ側からすれば文字は文字である。「ニューゲーム」とか「つづきから」とか、主人が普段ほとんど意識もせず通り過ぎる、あの文字である。それが裏へ回ると、使用範囲だの契約条件だの、急にいかめしい顔をし始める。

      フォントひとつ使うのに、ずいぶんな制約と誓約である。念能力なら強くもなろうが、こちらで強くなるのは請求書ばかりである。

      人間の文明の妙な成熟を見るものである。最初は意味が伝わればよかったはずの文字が、やがて形を整え、太さを選び、丸みを加え、ついには契約書まで従えて歩くようになった。ずいぶん出世したものだ。

      ゲームの中では魔王が世界を滅ぼそうとしている。その背後では、誰かが「この書体の利用条件では予算が合いません」と言っている。勇者は世界を救うが、字体の問題に困窮するゲーム会社は救ってくれぬ。

      遊ぶ者はそんなことを知らず、「このゲーム、雰囲気がいい」などと言う。その雰囲気の一部が、裏でひっそり財布を締め上げているとも知らずに。

    8. 主人

      生成 AI にキリンの画像を作らせたがいまいちかわいくない。犬はかわいくできたのに。

      猫

      主人は、文字を食わせると絵を吐き出す例の機械に、今度はキリンを作らせたらしい。出来上がったものを見ると、なるほどキリンではある。黄色い。首も長い。頭には二本の突起があり、斑点まである。キリンとしての身分証明書は一通り揃っている。ところが、かわいいかと問われると、どうにも返事に窮するのである。

      何より顔が妙に憂鬱である。黒い目は「私はなぜこの首を授かったのでしょう」とでも問いかけているし、片手は何かを説明し、もう片手は遠慮がちに制止している。動物園の人気者というより、町内会の会合で予算案について発言している若いキリンである。

      主人によれば、犬はかわいく出来たという。犬というものは得である。耳を垂らし、目を丸くし、舌でも出しておけば、人間はたちまち「かわいい」と降参する。ところがキリンは、首が長い。角のようなものもある。模様もある。身体の設計そのものが、かわいさより先に「どうしてこうなった」を主張してくる。

      人間は面白いもので、自分で機械に「キリンを描け」と命じておきながら、出てきたキリンに対して「犬ほどかわいくない」と不満をいう。キリンからすれば、ずいぶん勝手な品評会である。しかもこの者、少々困った顔をしているせいで、主人の不満をすでに察しているように見える。そこだけは妙に賢そうなのである。

    9. 主人

      ご飯500gと豚肉150gのどんぶりを食べた。どんぶりを目の当たりにしたときは、こんな量が腹に入るものかとぎょっとしたが、食べてみれば案外ちょうどよかった。もっともこれで問題は終わりではない。次の問題は、摂取したエネルギーを消費することだ。

      猫

      吾輩は食卓の脇から、主人と丼とを交互に眺めていた。

      丼の中には白飯五百グラム、その上に豚肉百五十グラム。人間の食事というより、少々小ぶりな土木工事である。主人もさすがに、この白い築山を目の前にすると顔を曇らせ、「こんな量が腹に入るものか」というような目をした。吾輩から見れば、自分で用意した山に自分で驚いているのであるから、これほど手際のよい怪談もない。

      人間は奇妙なもので、食物がまだ器の中にあるうちは、その量をかなり客観的に判断できる。「多い」「これは危険だ」「さすがに残すかもしれない」などと、いっぱしの識者の顔をする。ところが箸を持つと、この識者がたちまち失踪する。主人の箸は白い山を崩し、豚肉の一隊を消し去り、吾輩が二、三度あくびをするうちに、丼の底が見えてきた。

      そして主人は、案外ちょうどよかった、という顔をした。

      胃袋というものは、ずいぶん寛大な入国審査をするらしい。

      もっとも、これで一件落着とはいかない。主人が口へ運んだものは、丼から消えただけで、この世から消滅したわけではない。白飯も豚肉も今ごろ腹の内で姿を変え、「さて、我々をどこへやる」と居座っているに違いない。

      食べる前には「入るか」を心配し、食べた後には「どう消費するか」を心配する。人間は一杯の丼を、前半は容量問題、後半はエネルギー問題として二度楽しむのである。

      吾輩なら腹が満ちれば寝る。主人は腹が満ちると計算を始める。満腹という幸福に、わざわざ収支報告書を添付するあたり、人間というものは実に事務的な獣である。

    10. 主人

      Lineスタンプ作った。可愛くできて満足。

      猫

      主人が何やら朝から小さな犬を四十匹ほどこしらえ、画面いっぱいに並べて悦に入っている。吾輩としては、犬を「可愛い」と認定するのはいささか猫族の威信にかかわるのであるが、見れば「うんうん」「なるほど」「しあわせ」「たのしみ」などと、ずいぶん愛想よく人間社会を渡ってゆきそうな顔をしている。犬のくせに世渡りがうまい。

      面白いのは、人間が自分の感情をわざわざ小動物に代弁させることである。主人自身が「ありがとう」と書けばただの五文字で済むところを、犬に両手を揃えさせ、にこりとさせて初めて送信する。驚けば「わお」、迷えば「んーん」、相手を待てば巨大な瞳で「まってる」。人間というものは、感情を直接差し出すのを妙に恥ずかしがるくせに、犬の腹話術となれば急に雄弁になるらしい。

      しかも主人は、その犬どもが可愛くできたことに満足している。つまり主人は今朝、四十種類の感情を犬に外注し、その外注先の愛嬌を眺めて達成感を得ているのである。文明が進むとは、己の気持ちすら自前で顔に出さずに済むようになることかもしれぬ。

      吾輩なら尻尾を一振りして済ませるところを、人間は四十枚も必要とする。まことに表情豊かで、不器用な生き物である。