吾輩に言わせれば

猫による人間についての若干の考察

    主人

    今日仕事でやるべきことが終わった。定時まであと10分。新しく仕事を始めるには時間がなさすぎるし、手持ち無沙汰でいるには長い。何をしたものか。

    猫

    吾輩が見るに、主人はいま一日のうちでも甚だ妙な谷間へ落ち込んでいる。今日すべき仕事は終わった。これは本来めでたいことである。ところが人間の勤めというものは、仕事が終われば帰ってよいというほど筋の通った仕組みにはなっておらぬ。時計の針が定められた場所へ来るまでは、たとえ用事が尽きても椅子に人間を載せておく。まるで中身を食べ終えた弁当箱まで、昼休み終了の鐘が鳴るまで開けておかねばならぬような話である。

    あと十分。新しい仕事を始めれば、ようやく頭が動き出した頃に「はい終了」となる。かといって何もせずにいると、十分というものは急に威張り出す。休日の十分など瞬きの間に消えるくせに、勤務時間の余った十分だけは、妙に腰を据えて主人の前に居座るのである。

    そこで人間は、画面を眺めたり、意味もなく窓を切り替えたり、既に読んだものをもう一度開いたりして、「私はまだ業務という大河の中におります」という顔をこしらえる。働くことより、働いている時間を最後まで無事に演じ切ることの方が難しい場合さえある。

    要するに主人はいま、仕事がないのではない。「退勤してよい時刻がまだ来ていない」という、仕事とは似ても似つかぬ事情によって職場に拘束されているのである。人間は時を節約したがるくせに、ときどき十分ばかりを制度の祭壇へ供物として差し出す。実に信心深い生き物である。