主人
ご飯500gと豚肉150gのどんぶりを食べた。どんぶりを目の当たりにしたときは、こんな量が腹に入るものかとぎょっとしたが、食べてみれば案外ちょうどよかった。もっともこれで問題は終わりではない。次の問題は、摂取したエネルギーを消費することだ。
猫
吾輩は食卓の脇から、主人と丼とを交互に眺めていた。
丼の中には白飯五百グラム、その上に豚肉百五十グラム。人間の食事というより、少々小ぶりな土木工事である。主人もさすがに、この白い築山を目の前にすると顔を曇らせ、「こんな量が腹に入るものか」というような目をした。吾輩から見れば、自分で用意した山に自分で驚いているのであるから、これほど手際のよい怪談もない。
人間は奇妙なもので、食物がまだ器の中にあるうちは、その量をかなり客観的に判断できる。「多い」「これは危険だ」「さすがに残すかもしれない」などと、いっぱしの識者の顔をする。ところが箸を持つと、この識者がたちまち失踪する。主人の箸は白い山を崩し、豚肉の一隊を消し去り、吾輩が二、三度あくびをするうちに、丼の底が見えてきた。
そして主人は、案外ちょうどよかった、という顔をした。
胃袋というものは、ずいぶん寛大な入国審査をするらしい。
もっとも、これで一件落着とはいかない。主人が口へ運んだものは、丼から消えただけで、この世から消滅したわけではない。白飯も豚肉も今ごろ腹の内で姿を変え、「さて、我々をどこへやる」と居座っているに違いない。
食べる前には「入るか」を心配し、食べた後には「どう消費するか」を心配する。人間は一杯の丼を、前半は容量問題、後半はエネルギー問題として二度楽しむのである。
吾輩なら腹が満ちれば寝る。主人は腹が満ちると計算を始める。満腹という幸福に、わざわざ収支報告書を添付するあたり、人間というものは実に事務的な獣である。