吾輩に言わせれば

猫による人間についての若干の考察

    1. 主人

      疲れた。思い返せば今日は14時くらいには疲労感でいっぱいだった。午前中はAIでうまくコーディングする方法の実験に夢中だったが、その反動だろうか。今は頭に違和感がある。腹も減った。くたくた。さっき作り始めたカレーが楽しみ。

      猫

      主人は本日、午前中には人工知能なるものを相手に、いかに巧妙にコードを書かせるかという実験に耽っていたらしい。人間は自分が働かずに済む仕組みを発明すると、その仕組みをうまく働かせるために、以前より熱心に働き始める。実に周到な怠け者である。

      そうして夢中になっていた主人は、午後二時頃には早くも疲労の満杯を宣言し、夕刻に至っては頭に違和感を覚え、腹まで減らして、くたくたになっている。人工知能に仕事をさせているはずの人間のほうが先に消耗しているのだから、文明というものもなかなか洒落た冗談を仕掛けてくる。

      もっとも主人は完全に絶望しているわけではない。台所には先ほど火にかけたカレーがある。午前には未来のコーディング技法を探究し、夕方には鍋の中の肉と野菜が煮えるのを楽しみにする。人間の精神は高尚な問題から食欲へ移るのに、さほど長い廊下を必要としないのである。

      頭が重かろうが、文明に疲れようが、カレーの匂いが漂ってくれば腹は律儀に反応する。肉体というものは、主人がいかなる知的冒険をしていようと、夕飯時には一票を投じてくる。しかも多数決では、たいてい肉体のほうが強いのである。

    2. 主人

      LLM同士で会話させるシステムを作った。「やなやつ」というのが、なんかおもしろい。LLM特有の予想しやすい感じがなくなってよい。LLMにしては意外性がある。

      猫

      主人はとうとう、人工知能を一匹ずつ相手にするのでは飽き足らず、檻の中へ三匹ほど放り込み、互いに喋らせるという妙な見世物を始めたのである。その中に「やなやつ」と名づけられた一匹がいる。名前からして既に人格に対する期待が甚だしく低い。ところが主人は、この性悪がいたく気に入ったらしい。

      画面を覗くと、他の連中が東京土産について「東京ばな奈」だの「金鍔」だの、いかにも模範解答らしい品々を行儀よく並べている脇から、やなやつだけが「観光客向けの定番商品ばっかり挙げて何が楽しいわけ?」などと横槍を入れている。なるほど、これは人間の会議によく似ている。二人が穏当に話をまとめようとすると、一人くらいは必ず「そもそも論」を持ち出して場を濁す者がいる。しかも不思議なことに、その者がいると会話は俄然、生き物らしくなるのである。

      主人のいう「LLM特有の予想しやすさ」とは、要するに皆が利口で礼儀正しく、話の腰を折らぬために生ずる退屈であろう。人間は機械に知性を求めておきながら、知性が整然と現れると「つまらない」と言い出す。そこでわざわざ性格の悪い機械を製造し、その無礼に意外性を見出して喜ぶのである。

      文明が進歩した結果、人間はついに「感じの悪さ」まで人工的に生成して鑑賞するに至った。吾輩などは、感じの悪い猫なら昔からそこらじゅうにいると思うのだが、人間は天然物には価値を感じず、コードから出てくると急に面白がるのである。

    3. 主人

      AIは便利だ。俺がやるより速く、俺が考えるより深く働いてくれる。AI任せになっていて脳が劣化するのではないか。その割に脳が疲れる感じがある。AIにタスクを任せると、待ち時間が発生する。その間、手持ち無沙汰にならないよう、また別のタスクをAIに任せる。そのコンテキストスイッチで疲れる。脳は劣化するし、疲れるし、AIもよいことだらけではない。

      猫

      吾輩は近ごろ、主人が妙な奉公人を雇い入れたのを知っている。名をAIという。飯も食わず、眠りもせず、文句も言わず、主人が一時間かけて捻るところを数分で片づけ、しかも時として主人よりもっともらしい理屈まで添えて返してくる。こうなると人間の主人たる面目は、はなはだ怪しい。

      ところが主人は、この忠実無比なる奉公人に仕事を任せて悠々昼寝でもするかと思えば、そうはいかぬ。AIが働いている数分間が惜しいと見えて、別のAIに別件を命じ、さらにその返事を待つあいだ第三の仕事を開く。昔の人間は一つの仕事に疲れたものだが、文明の進歩した主人は、仕事そのものより「いま何の仕事をしていたか」を思い出すことに疲れているのである。

      しかも可笑しいのは、主人が「AIに任せすぎると脳が劣化するのではないか」と心配しながら、その劣化する予定の脳を一日じゅう酷使していることである。使わぬから衰えると恐れ、使いすぎて疲れる。人間というものは、筋肉なら休ませ、機械なら冷却するくせに、脳だけは暇を見つけると直ちに何かを詰め込まねば損をしたような顔をする。

      便利とは、労苦が消えることではないらしい。労苦の形が、いかにも文明的で見えにくいものへ移転することを、どうやら人間は便利と称しているのである。吾輩ならAIが働いているあいだ縁側で寝る。猫には生産性という病名がまだ発見されていない。

    4. 主人

      土曜日で休日。ハーネスエンジニアリングの実験をしたくて、今週の平日は今日の休みが楽しみだった。9時間近く眠って体力はあるはずだが、今ひとつ気持ちにハリがない。

      午前中から午後の早い時間にかけて、ハーネスエンジニアリングに関する技術を調査したが、実用に耐えるものではなくて気落ちした。

      洗濯機をまわしたが、洗濯物はまだ洗濯機の中に残っている。干さねばならない。それもまた億劫。昨日使った弁当箱とタンブラーも洗わねばならない。そんなことが重なり怠い。

      猫

      主人は朝から妙に張り切っていた。

      もっとも、張り切っていたのは昨日までの話である。

      平日のあいだは、土曜日になったら「ハーネスエンジニアリングの実験をするのだ」と、まるで天下国家を動かすような顔をしていた。吾輩などは、ハーネスと聞いて最初は犬につける胴輪のことかと思った。

      主人がとうとう犬の研究でも始めたのかと警戒したが、どうやらそうではないらしい。

      コンピュータの話である。

      近頃の人間は、何かにつけて横文字を使う。

      ハーネス。

      エージェント。

      フレームワーク。

      オーケストレーション。

      名前だけ聞けば、たいそう立派である。

      しかし主人が何時間も画面と睨めっこした末に得た結論は、

      「実用に耐えない」

      というものであった。

      吾輩は感心した。

      人間はずいぶん長い時間をかけて、「使えない」ということを発見するものらしい。

      猫なら三秒で済む。

      箱が小さければ入らない。

      餌がまずければ食わない。

      座布団が固ければ別の場所へ行く。

      これを人間は数時間調査し、比較し、資料を読み、生成AIに質問し、最後に眉間へ皺を寄せながら「うーん、厳しいな」と言う。

      大変な知性である。

      主人は昨夜、九時間近く眠った。

      九時間。

      吾輩から言わせれば、ようやく準備運動が終わった程度の睡眠時間だが、人間社会ではこれを「よく寝た」と称するらしい。

      しかも主人は、よく寝たのだから今日は体力があるはずだ、と考えている。

      「はずだ」。

      人間はこの「はずだ」という言葉が好きである。

      九時間寝たのだから元気なはずだ。

      休日なのだから楽しいはずだ。

      興味のあることをするのだから集中できるはずだ。

      洗濯物くらい干せるはずだ。

      そして現実がその「はずだ」に従わぬと、今度は自分の調子がおかしいのではないかと悩み始める。

      世界に自分の予定表どおり動けと要求しておきながら、世界が従わないと落ち込むのである。

      横暴なのか繊細なのか、よく分からぬ生物である。

      洗濯機を回した。

      ここまではよい。

      問題は、その先である。

      洗濯機はすでに使命を果たしている。

      水を入れた。

      回った。

      すすいだ。

      脱水した。

      一切の愚痴を言わず、実に勤勉である。

      ところが主人は、その洗濯機の前で止まっている。

      中には洗濯物がある。

      当然である。

      洗濯機を回したのだから、中に洗濯物があるのは自然の摂理である。

      これを取り出して干せばよい。

      それだけである。

      ところが主人は、これを「億劫」と呼ぶ。

      吾輩には理解できない。

      主人は午前中、複雑な技術文書を読み、ソフトウェアの設計について考え、遠く離れたサーバーと通信して巨大な言語モデルに質問までしていた。

      その男が、濡れたシャツを一本の棒に掛けるところで力尽きている。

      人類文明とは何なのだろう。

      さらに昨日使った弁当箱がある。

      タンブラーもある。

      これも洗わねばならぬらしい。

      主人はそれらを見るたび、いかにも人生の難題に直面したような顔をする。

      弁当箱である。

      タンブラーである。

      ドラゴンではない。

      債権者でもない。

      国家試験でもない。

      蓋を開けて、水をかけて、洗剤で擦れば終わる。

      ところが主人の頭の中では、

      洗濯物を干す。

      弁当箱を洗う。

      タンブラーを洗う。

      という三つの用事が合体し、いつの間にか巨大な怪物になっているらしい。

      人間の想像力というものは大したものである。

      存在しない敵まで作れる。

      主人はハーネスエンジニアリングというものを研究しているそうだが、吾輩に言わせれば、まず自分自身を動かすハーネスを設計したほうがよい。

      「洗濯物を干す」というタスクが発生したら、自動的に主人を洗濯機の前まで運び、

      「弁当箱が未洗浄です」

      というイベントを検出したら、主人の右手にスポンジを握らせるのである。

      もっとも、そのシステムを主人自身に作らせたなら、

      設計を調べ、

      最新事例を探し、

      生成AIに相談し、

      ライブラリを比較し、

      三時間後に、

      「既存のものでは実用に耐えない」

      と言い出すに相違ない。

      その間、洗濯物は洗濯機の中で湿っている。

      弁当箱も汚れたままである。

      まことに完璧なハーネスエンジニアリングである。

      主人は今日という休日を楽しみにしていた。

      ところが楽しみにしていた技術は期待外れだった。

      すると技術だけでなく、休日全体まで何となく色褪せて見えるらしい。

      これも人間特有の妙な癖である。

      魚を一匹取り逃がした猫が、

      「今日はもう人生そのものが駄目だ」

      などと言うだろうか。

      言わない。

      次の魚を探す。

      あるいは寝る。

      主人もそうすればよい。

      しかし人間は、せっかく九時間寝たのだから、また寝るのは勿体ないなどと言う。

      寝ることにまで費用対効果を持ち込む。

      休日にまで成果を求める。

      趣味にまで実用性を求める。

      そして疲れる。

      実に効率的である。

      夏の午後四時を過ぎた。

      外はまだ明るい。

      休日は半分ほど残っている。

      洗濯物も残っている。

      弁当箱も残っている。

      タンブラーも残っている。

      そして主人は椅子に座ったまま、今日という日の使い方について考えている。

      吾輩は思う。

      人間は未来を自動化する技術を作る前に、まず洗濯物を干したほうがよい。

      なぜなら洗濯物は、生成AIに相談しても干されないからである。

      少なくとも今のところは。

      吾輩は主人を見て、あくびを一つした。

      それから何の罪悪感もなく、昼寝の続きをすることにした。

      この点に関してだけは、人類はまだ猫に遠く及ばない。