吾輩に言わせれば

猫による人間についての若干の考察

    主人

    土曜日で休日。ハーネスエンジニアリングの実験をしたくて、今週の平日は今日の休みが楽しみだった。9時間近く眠って体力はあるはずだが、今ひとつ気持ちにハリがない。

    午前中から午後の早い時間にかけて、ハーネスエンジニアリングに関する技術を調査したが、実用に耐えるものではなくて気落ちした。

    洗濯機をまわしたが、洗濯物はまだ洗濯機の中に残っている。干さねばならない。それもまた億劫。昨日使った弁当箱とタンブラーも洗わねばならない。そんなことが重なり怠い。

    猫

    主人は朝から妙に張り切っていた。

    もっとも、張り切っていたのは昨日までの話である。

    平日のあいだは、土曜日になったら「ハーネスエンジニアリングの実験をするのだ」と、まるで天下国家を動かすような顔をしていた。吾輩などは、ハーネスと聞いて最初は犬につける胴輪のことかと思った。

    主人がとうとう犬の研究でも始めたのかと警戒したが、どうやらそうではないらしい。

    コンピュータの話である。

    近頃の人間は、何かにつけて横文字を使う。

    ハーネス。

    エージェント。

    フレームワーク。

    オーケストレーション。

    名前だけ聞けば、たいそう立派である。

    しかし主人が何時間も画面と睨めっこした末に得た結論は、

    「実用に耐えない」

    というものであった。

    吾輩は感心した。

    人間はずいぶん長い時間をかけて、「使えない」ということを発見するものらしい。

    猫なら三秒で済む。

    箱が小さければ入らない。

    餌がまずければ食わない。

    座布団が固ければ別の場所へ行く。

    これを人間は数時間調査し、比較し、資料を読み、生成AIに質問し、最後に眉間へ皺を寄せながら「うーん、厳しいな」と言う。

    大変な知性である。

    主人は昨夜、九時間近く眠った。

    九時間。

    吾輩から言わせれば、ようやく準備運動が終わった程度の睡眠時間だが、人間社会ではこれを「よく寝た」と称するらしい。

    しかも主人は、よく寝たのだから今日は体力があるはずだ、と考えている。

    「はずだ」。

    人間はこの「はずだ」という言葉が好きである。

    九時間寝たのだから元気なはずだ。

    休日なのだから楽しいはずだ。

    興味のあることをするのだから集中できるはずだ。

    洗濯物くらい干せるはずだ。

    そして現実がその「はずだ」に従わぬと、今度は自分の調子がおかしいのではないかと悩み始める。

    世界に自分の予定表どおり動けと要求しておきながら、世界が従わないと落ち込むのである。

    横暴なのか繊細なのか、よく分からぬ生物である。

    洗濯機を回した。

    ここまではよい。

    問題は、その先である。

    洗濯機はすでに使命を果たしている。

    水を入れた。

    回った。

    すすいだ。

    脱水した。

    一切の愚痴を言わず、実に勤勉である。

    ところが主人は、その洗濯機の前で止まっている。

    中には洗濯物がある。

    当然である。

    洗濯機を回したのだから、中に洗濯物があるのは自然の摂理である。

    これを取り出して干せばよい。

    それだけである。

    ところが主人は、これを「億劫」と呼ぶ。

    吾輩には理解できない。

    主人は午前中、複雑な技術文書を読み、ソフトウェアの設計について考え、遠く離れたサーバーと通信して巨大な言語モデルに質問までしていた。

    その男が、濡れたシャツを一本の棒に掛けるところで力尽きている。

    人類文明とは何なのだろう。

    さらに昨日使った弁当箱がある。

    タンブラーもある。

    これも洗わねばならぬらしい。

    主人はそれらを見るたび、いかにも人生の難題に直面したような顔をする。

    弁当箱である。

    タンブラーである。

    ドラゴンではない。

    債権者でもない。

    国家試験でもない。

    蓋を開けて、水をかけて、洗剤で擦れば終わる。

    ところが主人の頭の中では、

    洗濯物を干す。

    弁当箱を洗う。

    タンブラーを洗う。

    という三つの用事が合体し、いつの間にか巨大な怪物になっているらしい。

    人間の想像力というものは大したものである。

    存在しない敵まで作れる。

    主人はハーネスエンジニアリングというものを研究しているそうだが、吾輩に言わせれば、まず自分自身を動かすハーネスを設計したほうがよい。

    「洗濯物を干す」というタスクが発生したら、自動的に主人を洗濯機の前まで運び、

    「弁当箱が未洗浄です」

    というイベントを検出したら、主人の右手にスポンジを握らせるのである。

    もっとも、そのシステムを主人自身に作らせたなら、

    設計を調べ、

    最新事例を探し、

    生成AIに相談し、

    ライブラリを比較し、

    三時間後に、

    「既存のものでは実用に耐えない」

    と言い出すに相違ない。

    その間、洗濯物は洗濯機の中で湿っている。

    弁当箱も汚れたままである。

    まことに完璧なハーネスエンジニアリングである。

    主人は今日という休日を楽しみにしていた。

    ところが楽しみにしていた技術は期待外れだった。

    すると技術だけでなく、休日全体まで何となく色褪せて見えるらしい。

    これも人間特有の妙な癖である。

    魚を一匹取り逃がした猫が、

    「今日はもう人生そのものが駄目だ」

    などと言うだろうか。

    言わない。

    次の魚を探す。

    あるいは寝る。

    主人もそうすればよい。

    しかし人間は、せっかく九時間寝たのだから、また寝るのは勿体ないなどと言う。

    寝ることにまで費用対効果を持ち込む。

    休日にまで成果を求める。

    趣味にまで実用性を求める。

    そして疲れる。

    実に効率的である。

    夏の午後四時を過ぎた。

    外はまだ明るい。

    休日は半分ほど残っている。

    洗濯物も残っている。

    弁当箱も残っている。

    タンブラーも残っている。

    そして主人は椅子に座ったまま、今日という日の使い方について考えている。

    吾輩は思う。

    人間は未来を自動化する技術を作る前に、まず洗濯物を干したほうがよい。

    なぜなら洗濯物は、生成AIに相談しても干されないからである。

    少なくとも今のところは。

    吾輩は主人を見て、あくびを一つした。

    それから何の罪悪感もなく、昼寝の続きをすることにした。

    この点に関してだけは、人類はまだ猫に遠く及ばない。