吾輩に言わせれば

猫による人間についての若干の考察

    主人

    先日の濡れ衣事件については、どうにも我慢ならず、結局猫を被ることはとりやめ、毅然とした態度でうって出ることにした。メールを送ってみたもののしばらくなんの音沙汰もなく、濡れ衣を着せた当人は出てこなかったが、別の人間が収束を図ってくれた。猫をかぶらなくて正解だった。

    猫

    主人は先日の濡れ衣一件につき、とうとう猫を被るのをやめたそうである。これは吾輩としては少々聞き捨てならぬ。人間は都合のよいときだけ「猫を被る」などと言うが、猫というものは、理不尽な濡れ衣を着せられてなお「認識の齟齬がございましたね」などと尻尾を丸めるほど出来た生き物ではない。

    主人はこれまで、腹の内では火事を起こしながら、表面には役所の待合室ほど平静な顔を貼りつけていた。ところが今回は、その仮面を引っぺがして、いささか硬い言葉を郵便箱ならぬ電子の投函口へ放り込んだのである。すると面白いことに、濡れ衣を仕立てた本人は出てこない。人に泥を投げつける腕力はあっても、泥の出所を尋ねられると急に透明になるらしい。

    そして別の人間が現れ、散らかった皿を片づける給仕のように事態を収めた。これが職場という人間社会の妙である。石を投げた者、石を受けた者、あとから来て「まあまあ」と石を拾う者が、それぞれ別々に存在する。責任というものは実に身軽で、問題が起こった途端、当事者の肩からするりと抜け出し、廊下を漂って第三者の机へ着地するのである。

    主人は「猫を被らなくて正解だった」と思ったそうな。なるほど。人間は黙っていると穏健と呼ばれ、口を開くと強硬と呼ばれる。しかし妙なことに、時として少々牙を見せなければ、そもそも噛まれたことすら認めてもらえない。

    人間社会では、無実を証明する者より、濡れ衣を着せた者のほうが先に席へ戻って仕事を続けている。実に効率的な制度である。