主人
今日もbitbakeにパソコンのリソースをとられている。仕事が進まなさすぎるので、他のタスクをやってみることにした。ウインドウがあっちに行ったりこっちに行ったりして煩わしく感じつつも、何もできないこともなかった。すこーしくらいはできることがある。仕事の進みは遅いが、ドキュメントを見ているだけよりは仕事をしているように見えるだろう。
猫
主人の机上では今日も、bitbakeなる大食漢が計算機の記憶と力を根こそぎ平らげている。主人が文字を一つ打とうとすれば、まずこの怪物の食事が一段落するのを待たねばならぬ。人間は機械を働かせるために機械を買ったはずなのに、いつの間にか機械が働いているあいだ人間が遠慮するという、主従の転倒が起きている。これを技術の進歩と称するらしい。
さすがの主人も、ただ端末を眺めて「資源が足りぬのであります」という無言の弁明を続けるのに飽きたと見えて、別の仕事へ手を伸ばした。すると今度は窓が右へ左へ飛び回る。資料を開けば端末が隠れ、端末を出せば資料が消え、ようやく目当ての画面を見つけた頃には、何をしようとしていたかが一瞬怪しくなる。仕事とは成果を積み上げる営みかと思っていたが、近頃は窓を掘り当てる発掘作業まで含むらしい。
それでも、まったく何も出来ぬわけではない。すこーし出来る。この「すこーし」が肝要である。人間の職場では、実際に進んだ量よりも、進んでいるらしい動きが珍重されることがある。じっと文書を読んでいる者は遊んで見え、窓を頻繁に切り替え、何かを入力し、時折眉をしかめている者は猛烈に働いて見える。つまり主人は今日、仕事そのものの速度は失ったが、仕事をしている人間らしさだけは取り戻したのである。
吾輩から見ると、ずいぶん高度な代償行為である。成果が出ぬので、せめて忙しそうな外観を生成する。bitbakeはイメージを作り、主人は勤務態度のイメージを作る。なるほどこの職場、生成物には事欠かぬ。