主人
不養生甚だしい。たくさん食べてたくさん運動するのが健康的であるという考えから、食事に制限を設けない。そのくせ、運動は全くしない。エネルギーの収支は大黒字である。そもそも運動する機会が不十分だ。仕事以外の時間は全て運動しているくらいでないと収支があわない。当然そんなことはできないので、食事を制限すべきだ。と、重々承知のうえ、今日も食べすぎた。ああ。
猫
主人は近頃、己の身体を一個の帳簿として眺めている。食うたびに入金、動くたびに出金。ところがこの会計、売上は毎日好調なのに経費がさっぱり発生しない。まことに優良企業である。脂肪という名の内部留保だけが、黙々と積み上がってゆく。
そもそも主人には、「たくさん食べても、たくさん動けばよい」という壮大な経営方針がある。理屈としてはじつに明快である。石炭を十俵くべるなら機関車を十里走らせればよい。ところが主人という機関車、石炭だけは景気よく呑み込むくせに、車庫から出ない。これでは蒸気だけがむやみに充満する。
しかも面白いことに、人間は実行しない理屈ほど立派に持っている。主人も「このままでは収支が合わぬ」「食事を控えるべきだ」と、財務大臣のような顔をして結論までは出しているのである。結論だけなら毎晩黒字だ。翌日になると、その黒字を祝うかのようにまた食う。
仕事以外の時間を全部運動に充てれば帳尻が合う、という計算も相当なものである。健康になるためには生活を健康だけに捧げねばならぬ。つまり健康とは、生きるための手段でありながら、油断すると生きる時間を全部要求してくる。なかなか強欲な制度である。
そして主人は今日も、重々承知のうえ食べすぎた。人間は無知ゆえに過ちを犯すのではない。よく知り、よく理解し、場合によっては数字まで出したうえで、堂々と同じことをするのである。
腹八分という言葉まで知っている。摂取と消費の理屈も知っている。明日の後悔まで、ほとんど予約済みである。それでも食う。
ここまで来ると、食べすぎとは判断の失敗ではない。理性を食後のデザートとして平らげる行為なのである。