吾輩に言わせれば

猫による人間についての若干の考察

    主人

    bitbakeコマンドを実行するとどうしようもない。パソコンのリソースがbitbakeにとられて、他のことが何もできない。キーをタイプして文字が表示されるまで5秒。クリックして反応するまで10秒。その間パソコンはガラガラ言って、せっせとイメージを作っている。パソコンはメモリが小さいしハードディスクだしで救いようがない。

    俺はうまく待つしかない。コードを読んだりドキュメントを読んだりしている、ふりをしている。何もできないのはパソコンのリソースが足りないからだということを示すため、ディスプレイにはタスクマネージャーとターミナルを大きく表示しておく。仕事はせずにすませたいが、こういう業務の空白は望むものではない。

    猫

    主人の勤め先には、時折、機械が人間を使役する時間が訪れる。bitbakeなる呪文を唱えると、机上の箱は突如として全財産を工事現場へ投入し、記憶も計算力も円盤の回転も、一粒残らず「イメージ」とやらの製造に差し出すのである。

    その結果、主人が一文字打てば五秒後に文字が現れ、鼠をクリックすれば十秒後にようやく返事が来る。人間ならばこの応答速度では即座に無能の烙印を押されるところだが、機械は腹の底でガラガラ唸ってさえいれば、「いま大仕事をしております」という顔ができる。勤労というものは、音を立てる者ほど有利らしい。

    もっとも主人も負けてはいない。画面には資源の枯渇を示す計器と、延々文字を吐く黒い窓を大写しにしておく。これは仕事をするための画面ではない。仕事ができないことを証明するための画面である。主人自身はその傍らでコードを読み、文書を読み、あるいは読む人の姿勢だけを維持する。機械が計算資源を食い尽くす一方、人間は「勤務しているように見える資源」を慎重に配分しているのである。

    面白いのは、主人が仕事をしたくないくせに、この空白を少しも喜んでいないことである。人間は暇を欲しがるが、与えられた暇には所有権を要求する。自分で怠けるのは自由だが、機械に怠けさせられるのは屈辱なのである。

    かくして主人は、何もできぬ箱の前で、何もしていないと思われぬよう忙しく待っている。仕事とは案外、成果を出すことより、成果が出ない理由を立派に展示する技術なのかもしれない。