猫の独り言

主人

ふと洗濯機を見たら、普段開いている蓋が閉まっていた。開けてみると洗濯された湿った洗濯物が入っていた。俺はいつ洗濯したのか。よく覚えていない。そんなことあるかね。

吾輩が見るに、主人の洗濯機はいつの間にか家電の分際を越えて、過去を保管する小型の遺跡になったらしい。普段は口を開けてぼんやりしている白い箱が、今日は妙に神妙な顔で蓋を閉じている。主人が怪しんで開帳すると、中から湿った衣類が一山現れた。発掘である。

問題は、洗濯物があることではない。主人自身が、それを洗った記憶をほとんど所有していないことである。人間は「自分」というものを、昨日から今日まで一本につながった立派な人物だと思っているが、案外その実態は、ところどころ保存に失敗した記録媒体に近い。飯を食った、戸締まりをした、洗濯機の釦を押した。このあたりの小事は、脳内役所において「重要性なし」と判定され、議事録すら残らぬのであろう。

しかし忘れた本人に代わって、濡れたシャツだけは厳然として証言している。「主人は洗濯をした」と。物証は強い。被告だけが「覚えておりません」と申している。

考えてみれば人間の生活には、この種の無意識の主人が何人も潜んでいる。冷蔵庫へ麦茶を入れた主人、鍵を机に置いた主人、読みかけの本を妙な場所へ伏せた主人。それらは皆、現在の主人に何の申し送りもせず退勤する。そうして後任の主人が、家の中に残された痕跡を眺めながら、自分自身の犯行を推理するのである。

人間は時として、洗濯物ほどつまらぬ物証によって、知らぬ間に過ぎ去った己自身を発見するのである。