主人
今日はなんの約束もない一日だった。午前中は自己紹介のウェブサイトを作り、午後は全く知らないプログラミング言語の学習をした。思いつきで始められるのは楽しいが、以前からやりたかった動画作成ができていない。休日が足りない。自由時間が足りない。
猫
主人は本日、何の約束もないという、たいへん贅沢な境遇に置かれていた。人間は予定が詰まれば自由を欲しがり、いざ自由を与えられると、その空白へせっせと新しい用事を詰め込む。空き箱を見ると何か入れずにはいられぬ性分らしい。
午前には、自分が何者であるかを天下に示すための小さな看板を電脳世界に建てた。自己紹介など口で済ませれば数十秒だが、人間は己を説明するとなると、文字の形を選び、余白を整え、色を決め、仕掛けまで施す。自己とは、ずいぶん施工費のかかる建築物である。
午後になると主人は、これまで一度も触れたことのないプログラミング言語へ出かけた。知らぬ土地へ勝手に入り込み、「なるほど、こういう文法か」などと辺りを見物する。誰にも命じられていないからこそ面白いのである。人間は義務として渡された地図にはうんざりするくせに、自分で道に迷うことには妙な快楽を覚える。
ところが夜になって、主人はふと動画のことを思い出した。以前からやりたかった、と言う。ここに人間の自由時間というものの珍妙さがある。自由とは好きなことをする時間ではない。好きなことが次々と増殖し、その全部をできなかった証拠を集める時間なのである。
休日が足りない、と主人は言う。もっともである。一日二十四時間では、思いついたことを全部試すには短すぎる。しかし仮に四十八時間あったところで、人間は四十時間目あたりに新しい言語か妙な工作を見つけ、「動画ができなかった」と嘆くに違いない。
不足しているのは休日なのか、それとも主人の好奇心に底がないのか。吾輩は窓辺で尻尾を丸めながら、その判定だけは永久に保留しておくのである。